故 初代社長・有永計一が、清掃業を営みはじめたのは昭和31年(1956)の時のこと。
船の清掃を事業にしようと考えていたが「陸(オカ)の清掃」への道を歩み出したのでした。
高度経済成長のとば口に立ったその時代においてすでに、今日のビルメンテナンス業に繋がる可能性を掴んでいたことはまさに炯眼というべきでしょうか。
ともあれ1台のポリッシャーを携えた初代社長は、神戸の地において大和研装社をスタートさせたのでした。
個人商店として発足した大和研装社は、昭和35年(1960)に初めてのビル常駐清掃業務を金沢病院(神戸市)から受託。
昭和37年には、関西におけるスーパーの雄として全国展開への準備を着々と進めつつあったダイエーとの間でビル清掃請負契約を締結しました。
これを機に大和研装社は、成長への軌道を歩みはじめます。
故 有永会長は昭和39年に家業を継ぐため法人成りした大和研装社に入社。全国展開をはじめたダイエーとともに事業拡大を進めていったのです。
昭和43年(1968)亡き父の後を引き継ぎ代表取締役に就任し、ダイエーグループの一員となることで全店舗の清掃業務を受託するとともに、設備管理や警備などビルメンテナンス業務にも事業の範囲を広げていきました。
その後は清掃業務、ビルメンテナンス業務の業容拡大を推し進めるとともに、モップや手ふきのレンタル業などの分野にも進出、事業の多角化を進めました。
中でも昭和51年(1976)からスタートしたコンビニエンスストア(FC店舗)事業は、社員に商品管理や顧客サービスといった小売業のノウハウに触れてもらいたいとの思いで手がけたものですが、今日では当社の経営の一角を占める重要な事業部門へと成長しました。
またそこで得た経営ノウハウをお客様のビル資産の有効活用に役立てるなど、善き循環関係として機能しています。
平成7年(1995)阪神大震災の年にダイエーグループから離脱した当社は、仕事の6割を占めていたダイエーの仕事を失い、110億円あった年商も半分以下に激減するという試練に見舞われました。
その間の経緯は作家・佐野眞一氏の著作『カリスマ 中内㓛とダイエーの「戦後」』(日経BP社1998年刊)に記されている通りです。しかしその後数年にわたる従業員一同の必死の努力によってこの苦境を脱した当社は、今日へと続く継続的発展の道を歩んできたのです。
そこには社員の頑張りはもちろんのこと、業容拡大とともに進めてきた事業の「多角化」および建物管理/資産管理を切り口とした業務ノウハウの「深化」が奏功したことは言うまでもありません。
時代は変化を続けます。当社の事業もまた、清掃業からビルメンテナンス、プロパティ&ファシリティマネジメントへと高度化・複雑化してきました。
しかし「不易流行」の言葉の通り、時代とともに変わるものもあれば変わらざるものもある。変わらざるもの、それは「現場から学び、社員とともに歩む」ことであり、加えて私はそこに「プライド」の一語も掲げたい。
いかなる時にも独立の気概を持ち、自ら道を切り拓く。その自恃と誇りを胸に、時代と向き合っていきたいと思います。
●正六位叙勲
去る2月4日(火)神戸ポートピアホテルで、故 有永会長をしのぶ「お別れ会」を致しました。
約450人もの大勢の方にお集まりいただき、偲んでいただきました。
故有永会長の意思を引き継ぎながらも、大和研装社は時代と向き合い、今後もよりグローバルな発展を目指し、さらなる飛翔をいたしたく存じます。
社員一丸となり、励んでいく所存です。